米田一華様 綺麗なままの魂 無神論

僕がこの世で許せないものとして、

「子供の虐待死」と「人の善意の祈りが届かない事」

があります。

 

 

表題は、虐待などでは当然無く、後者の

「人の善意の祈りが届かない事」にあたります。

 

僕が彼女の存在を知ったのは、youtubeにあがっていた動画から、

ご家族が、一華さんと最期の時を過ごす選択肢として

ケモハウスをお選びになったものを閲覧して、でした。

 

つい最近の24時間テレビなどにご出演なされたそうですが、

 

あくまで個人的に、個人的にですけど、

お金で彩られたチャリティーというのが…特にこの、テレビという媒体の価値が

乏しくなり、

普遍的なメディアではないことがあからさまとなってしまった時代においては

 

 

そこで頑張ってらっしゃる方の熱意とは別にして、嫌悪感を催してしまうので…

観てはいないのですが。。

 

 

ただ、動画の内容は、一華さんが天国に旅立つその直前まで、

(とてもとても寂しく、心が悲痛色になりましたが)

淡々と、、あるがままの形を世に発信しようと、

 

一華さんの生に意義をもたらそうとしたご両親の思いが真なるものだと、

 

心に刺さりました。

 

 

奥様のお腹に新たな命があることについて、

賛否があるようですが、

僕は、一華さんが弟の存在を楽しみにしていた。

というのが全てで、それでいいと思います。

 

 

 

どうして、、神様がいるならば、

せめて弟に会わせてあげなかったんだろうか…と。

 

宗教に対して、スピリチュアルやオカルトに対して、

強い偏見は持っていないのですが、

 

「子供の虐待死」と「人の善意の祈りが届かない事」

この2つの現実があることが、僕を無神論者にさせます…。

 

 

一華さんの人生は、

つらい闘病生活だけでなく、楽しいこともたくさんあったと思います。

 

遊んでる中で笑っている顔がとても可愛くて、

妹に飲み物を結局取られちゃう中に、お姉さんとしての優しさも見えました。

 

 

その人生が、あまりに短いということが儚く、天に憤りを覚えますが。。

 

 

とてもとても、暗い言葉ですが、

僕はこの世界が嫌いです。

というよりも、仏教観にあるように、この世界は修行地なのだろうと思います。

 

 

ゆえに、修行を終えた方から、迎えに来られる世界と仮定しています。

かつ、大人や老人のそれと違い、

 

子供という小さな器で、綺麗なまま、大変な苦難を耐えた魂は、

きっと僕のような俗物とは、全然違うフィールドに行くものだと思っております。

 

 

ここでは一華さんにのみ、言及させて頂きましたが、

どうか僕の仮説が、正しいと信じたいな、と

 

そう願ってやみません。

 

米田一華様、お疲れ様でした。美しい生き様を、ありがとうございました。

 

 

カテゴリーをどうするか迷いましたが、、

「魂」や「神」に触れてしまってるので、いったんはそこに置かせて頂こうと

思います。

 

 

どうか科学の発展とともに、人の祈りが届く世界になればいいのにと

思います。